長谷川素逝句集『砲車』

長谷川素逝は、昭十二年、砲兵将校として召集され、支那事変いわゆる日中戦争を戦地で戦います。翌年、病(結核)を発症して内地送還となります。帰国後、中国大陸で詠んだ俳句をまとめます。それが句集『砲車』です。

この句集、異例なことに、冒頭に虚子の序文が二十ページもわたり書かれています。虚子はこの句集をラジオでもとりあげたそうで、とにかく大絶賛したわけです。

しかし、戦後になって素逝は句集『定本素逝集』において、『砲車』にある一連の戦争句をすべて捨てます(そして、その刊行を前にして三十九歳という若さで亡くなります)。なので、本人が捨てた句をまた拾う必要があるのかと思うかもしれません。収録された俳句を見ると、いわば虚子の方法論で戦争を詠むとこうなるという手本のような句です。であればなおさら別の方法論があるのではないか。その可能性を探る検証の意味でも、やはり残すべき句集であろうと思われます。

虚子は俳句を「極楽の文学」と言いましたが、戦争を題材とした時、楽観主義だけでは太刀打ちできないものにぶつかるんですね。それが何なのか。それは考えてみたい問題です。もちろん素逝を責めるつもりもないですし、擁護するつもりもありません。必要なのは冷静に見つめることです。

夏灼くる砲車とともにわれこそ征け

ゆたかなる棉の原野にいまいくさ

をのこわれいくさのにはの明治節

友をはふりなみだせし目に雁たかく

稲の山にひそめるを刀でひき出だす

たま来ると夜半の焚火を靴で消す

寒夜銃声ちかしと目覚め服を着る

影ふかくかたきら捨てし壕凍てぬ

霜おきぬかさなり伏せる壕の屍に

胸射ぬかれし外套を衣を剪りて脱がす

枯草に友のながせし血しほこれ

雪くろくよごれ砲兵陣地なり

凍土揺れ射ちし砲身あとへすざる

凍て土に射ちし薬筒抛られ抛られ

やけあとに民のいとなみ芽麦伸ぶ

雪に伏し掌あはすかたきにくしと見る

雪の上にけもののごとく屠りたり

食を乞ふ少年あばら骨さむく

雪の上にうつぶす敵屍銅貨散り

麦の芽のしとねと君がかばねおく

うれしまま戦禍の麦のくたるなり

向日葵畑ぷすとたま来て土けむり

おほ君のみ楯と月によこたはる

すべる砲車を裸身ささふる汗を見よ

かをりやんの中ゆく銃に日の丸を

秋白く足切断とわらへりき

戦場とわかる句を中心に選びました。みなさん、どう思われるでしょうか。最後に『定本素逝句集』からも、いくつか選句します。比べてみると、何が同じで、何が異なるかがかわると思います。

風呂を出たばかりの顔で夕焼けて

子どもたち走り木の芽はふとるなる

春の夜のつめたき掌なりかさねおく

咲きみちしおもたさにある花の揺れ

翳とゐて端座すずしく茶を淹るる

鴛鴦あそぶ水玉水の上をまろび

目をつむりまぶたのそとにある大暑

麦を蒔くこぶしの下のとはの土

しづかなるいちにちなりし障子かな

素逝は自身の句を振り返って、なかなか拾えるものがないと書いていました。それは謙遜だけとも言えないところがあるように思えます。ただ最後の一句、〈しづかなるいちにちなりし障子かな〉は、他の句がかすむくらい光っているように思えます。もう少し生きながらえることができたら、素逝の俳句はこの句から始まっていたと思えるくらいの飛躍を遂げたのではないでしょうか。

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