柳生さんとホトトギス

霍公鳥(ほととぎす)
間しまし置け(あいだしましおけ)
汝が鳴けば(ながなけば)
我が思ふ心(わがおもうこころ)
いたもすべなし

この歌は、NHKの「日めくり万葉集」という番組で知りました。そのときの選者であった柳生博さんの話を紹介します。

柳生さんは、ご自身の母親のお通夜の日、テレビの仕事で地方に行っていて出席できなかったんだそうです。次の日の明け方、お風呂の中で母親の死に目にも会えず、通夜にも出られなかった、その身のつらさを思っていると、窓の外ではしきりにホトトギスが鳴いている。悲しみにひたる時間を打ち消すような鳴き方で。柳生さんは窓を開け、ホトトギスに怒鳴ったそうです。やかましい!と。

自然との対話とは何なのか。僕はこの柳生さんの話を聞いて、少し分かった気がしました。たいてい、こういうときは、ホトトギスが自分のことを気遣って鳴いているのだろうとか、あるいは、ホトトギスが母の霊がホトトギスになってやってきて、そんなに悲しまなくていいと言っているのだとか、そういう擬人的な解釈をすることが多いと思います。たしかに、そのような歌が多いのも確かです。しかし自然との対話とは、必ずしもそういうものではない。

大切な母親が亡くなった柳生さんの悲しみや、その供養もできないくやしさに対して、ホトトギスはあきらかに無関心なのです。しかし、そんな人の心にかまうことなく必死に鳴いているホトトギスと、ホトトギスの鳴き声をやかましく感じている自分とは、実は、それぞれの生においては同レベルにいる。いや、おそらく、そう感じられることがむしろ人を励ますことがあるということです。

生易しい救いの声などかけないもののほうが、返って人には救いになることがある。

俳句でもすぐに擬人化したくなるのですが、容易なだけに危険性があるように思います。安易に擬人化をして、知らずに他者性を排してしまうことがあるからです。

ちなみにこの歌の「思う心」は、恋心のことです。「いたもすべなし」は、簡単に言うと胸がはりさけそうでどうしようもない、という感情ですね。いちおうホトトギスの鳴き声をウェブに載せているサイトがありましたので。
http://www.asahi-net.or.jp/~yi2y-wd/a-uta/uta-hoto.html

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