柄谷さんの話(平成二一年三月)

先日、長池講義の第四回目を聴講してきました。その日は、わが俳句結社の北鎌倉吟行会と同じ日で悩みましたが、その前の週に単独で北鎌倉を吟行し、当日は長池講義へ参加したのでした。

長池講義の第一部は、法学者の苅部(直)さんによる「丸山眞男の開国論」。第二部は、いとう(せいこう)さんと高澤(秀次)さんによる日本芸能史講義の第二回「太平記の時代」でした。第三部が柄谷(行人)さんの話で、「近代世界システムの歴史的段階論」。この三者三様の取り合せですが、不思議とつながっていくから驚きです。

今回の大テーマは、言ってみれば、「アソシエーション」(結社)ということになるかと思います。世界システム全体の問題としても、もちろん大問題なのですが、俳句結社に所属する自分としても興味深いものでした。

苅部さんの話は、グローバリゼーション以後の人間の秩序として、「アソシエーション」を考えるという話でした。ゲゼルシャフト化した社会において、人は地縁や血縁などのむすびつきが解かれて、人はばらばらの個人となるわけですが、その個人がどのような意識をもちうるかということで、丸山眞男が定義した四つの類型があります(個人析出(individuation)のさまざまなパターン)。それは、「自立化する個人」「民主化する個人」「私化する個人」「原子化する個人」という四つの類型です。この四パターンは、「結社形成的(associative)⇔非結社形成的(dissociative)」と縦軸に、「求心的(centripetal)⇔遠心的(centrifugal)」を横軸にした四領域を名付けたものです。具体的に示すと、次のようになります。

「自立化(individualization)」:結社形成的で、遠心的である
「民主化(democratization)」:結社形成的で、求心的である
「私化(privatization)」:結社形成的でなく、遠心的である
「原子化(atomization)」:結社形成的でなく、求心的である

「民主化」は求心的なので中央集権的になるわけです。だから国民国家という単一方向にいくほかない。柄谷さんは日本は中心に向かわない組織形態というものが発達しなかったと言います。そのために、「私化」と「原子化」が進んでしまったということです。つまり、国家以外の中間組織が脆弱なんですね。おそらく戦後の日本においては中間組織として「会社」の存在が大きかったはずです。終身雇用制度という、仮にであっても「永遠」が保証されていたわけですから。しかし、九十年以降にそれも崩壊したわけです。ある意味、ますます丸山眞男の話がリアリティを帯びる時代になったということでもあります。とりわけ、都市においては「原子化」が極端に進んでいるように思います。「アソシエーション」(結社)とは「自立化」の方向にしかありえません。たとえば、柄谷さんは明治期の自由民権運動のような「民主化」の挫折が、個人を自然主義小説のような「私化」に向かわせたのだと言っていました。そういう意味では、正岡子規や夏目漱石というのは、そもそも「民主化」ではなく、「自立化」の方向性だったのではないかと思うのです。

柄谷さんがいうには、国連の改革においても、国家と同格なレベルでこうした「アソシエーション」が肩を並べるようになることが重要だと言っていました。「アソシエーション」というものを多元的に世界を構成する一つ秩序単位としてとらえなおすべきだということです。つまり、柄谷さんのいう世界共和国は、こういう自立した多様な「アソシエーション」が、アソシエーションのアソシエーションのアソシエーション……というように、つながっていくイメージなのではないかと思うんです。

高澤さんの話ですが、実は「太平記」の時代、つまり南北朝時代の日本というのは中間団体によって多元的に構成されており、「アソシエーション」の萌芽があったというのです。たとえば、「悪党」がそうです。荘園領主にかわって自主的に地税を徴収し自治を始めるものたちがいたり、あるいは、婆娑羅(異形)や山伏(修験)のように芸能団体や宗教団体のような中間団体が数多く存在したそうです。語物文芸や連歌が広まったのも、この時代であります。貨幣経済の浸透が起因しているところもあるかと思いますが、世界が流動的で交通が活発であるということが、「アソシエーション」を生む土壌としては、ひとつのポイントになってきそうです。

それから、ご存知の方も多いと思いますが、いとうさんがウェブ上で二つの小説を同時に書き始めていて、その小説は並べ替えや引用が自由にできるようになっています。つまり、書いているそばから、他人の手によって変化して広がっていくのです(もっともウェブらしい技術といっていいでしょう)。いとうさんは「横に広げていきたい」と言っていました。僕は既存の流通システムへの対抗というよりも、やはり丸山眞男のいう「自立化」の方向、つまり、これもアソシエーション的なものなのだと思います。

私自身、俳句を始めた理由のひとつに「俳句結社」の存在がありました。「俳句結社」というものをアソシエーションの萌芽としてとらえなおすことはできないだろうかと思ったのです。これは今後の自分自身の課題となることでしょう。

最後に。今回の柄谷さん自身の話ですが、実はそれ自体は非常に短いものでした。その理由は、どうやら新しい本が書き終えられたからのようなのです。タイトルは「世界史の構造」だそうです。なので、今回は柄谷さんの話は書きとめずにおきます。本が出たらじっくり読んでもらえればと思います。

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