西鶴、芭蕉、そして秋成のこと。
最近、西鶴、芭蕉、秋成の関係に関心があります。 芭蕉は言わずもがなですが、西鶴も秋成も俳諧をやっています。西鶴は「矢数俳諧」といって、一昼夜かけてどれだけたくさんの句が詠めるかを競うパフォーマンスで、二万三千五百句(ほん…
最近、西鶴、芭蕉、秋成の関係に関心があります。 芭蕉は言わずもがなですが、西鶴も秋成も俳諧をやっています。西鶴は「矢数俳諧」といって、一昼夜かけてどれだけたくさんの句が詠めるかを競うパフォーマンスで、二万三千五百句(ほん…
今年の二月に浅利誠という学者の『日本語と日本思想』という本を読んだのですが、その中で知った大野晋という国語学者がいます。大野さんは、残念ながら先月八十八歳で亡くなったそうで、たまたま本屋で見つけて読みはじめたら、はまって…
梅雨の最中、久しぶりに柄谷さんの話を聞いた。長池公園で行われた柄谷さんと高澤さんの講義を聞きに行ったのだ。四時間など瞬く間に過ぎた。柄谷さんの話のテーマは「互酬性(reciprocity)」。「世界共和国へ」(岩波新書)…
漱石と子規と云えば、私が惚れ込んでいる明治の二大文人であるが、その二人のあいだに友情を深めさせたもの、それは落語である。漱石と子規とは寄席通いを通して交遊を深めのだという話を昨年の漱石展で知って以来、私も落語が気になって…
昨夜はたまたま早く家に帰ってテレビをつけたら、知っている顔が映っている。驚いた。中村勇吾だ。NHKの人気番組「プロフェッショナル 仕事の流儀」 に、あの中村勇吾が出ていたのである。彼と初めて会ったのは世紀が変わる直前のこ…
正岡子規は明治35年9月に、35歳という年で帰らぬ人となります。『墨汁一滴』『仰臥漫録』『病牀六尺』は、その死の直前2年にもみたない期間、つまり 子規の死期に書かれたものです。明治34年の10月、執筆中の『仰臥漫録』を精…