野とともに焼る地蔵のしきみ哉 蕪村
地蔵に供えられた樒(しきみ)が野火につつまれる。おそらく地蔵もろともに。蕪村といえど、これはなかなか絵にしにくい光景であろう。蕪村は雪や雨、灯りも巧みに描いたが、炎は描いていないのではないだろうか。この句を詠んだとき、蕪...
地蔵に供えられた樒(しきみ)が野火につつまれる。おそらく地蔵もろともに。蕪村といえど、これはなかなか絵にしにくい光景であろう。蕪村は雪や雨、灯りも巧みに描いたが、炎は描いていないのではないだろうか。この句を詠んだとき、蕪...
朝、薄く積もった雪の上に、猫の足跡がある。作者はそれを猫の家の外で見ている。猫は家に戻り、のこされた猫の足跡のもとに作者がいる。もどるところのない、放浪の詩人らしい句である。猫が素足なのはあたりまえだが、それに驚く作者は...
前書きに一月十七日とある。寒のなゐとは、言うまでもなく、平成七年の阪神・淡路大震災のことである。「たたきつぶして」という言葉で、その直下型地震の激しい揺れのありようがうかがえる。杜甫は「国破れて山河あり」と言ったが、この...
一月七日は人日。七草粥を食べる。立子は鎌倉から麹町の星野家に嫁いだ。おそらく正月は麹町で過ごし、七日になって鎌倉の母・糸子のもとへ行くのだろう。七草を入れた籠には、母への長寿の願いも入っている。 出典『句日記』
空洞には「うつろ」とルビがある。空洞とは何もないということではない。たとえば、うつほ物語の洞窟や琴がそうだろうし、竹取物語でかぐや姫の出てくる「竹」、桃太郎の出てくる「桃」もそうかもしれない。つまり、なにかが生まれ出てく...
無為とは、人為的なところがないということで、何もしていないということではない。老子のいう「無為自然」とは、あるがままに、自然の本性にまかせれば、自ずと為すべきことを為すということである。生態学的には、海鼠は海底に積もる有...
一日という日常の時間を、この聖域と言ってもいい静かさの空間に変えるには、障子一枚の薄さでことたりる。障子を通して入ってくる外界の音は静寂のざわめきに変換される。また、そこに広がるやわらかな光は、心のぬくもりそのものとなる...