漱石の俳句(6)菫程な小さき人に生れたし
二〇一四年、漱石から子規へ送った手紙があらたに発見されたというニュースがありました。手紙の日付は明治三〇年八月二三日。その中に未発表の俳句が二句ありました。 禅寺や只秋立つと聞くからに 京に二日また鎌倉の秋を憶ふ 二句目...
二〇一四年、漱石から子規へ送った手紙があらたに発見されたというニュースがありました。手紙の日付は明治三〇年八月二三日。その中に未発表の俳句が二句ありました。 禅寺や只秋立つと聞くからに 京に二日また鎌倉の秋を憶ふ 二句目...
明治二九年、漱石は結婚します。その年、妻・鏡子は流産。ノイローゼ(ヒステリー症)から投身自殺の未遂をおこします。漱石は当時、鏡子と手首を糸で結んで寝たこともあったそうで、小説『道草』にもそのときの描写があります。 《或時...