この句には前書きに「仙台につく途はるかなる伊予の国をおもへば」とあり、はるか彼方に故郷を想ふ句であることがわかります。ホトトギスに掲載され、虚子が絶賛したことで、不器男が一躍注目を浴びることになった句として、よく知られています。上五の「あなたなる」は実際の距離の「遠さ」であって、下五の「あなたかな」は心の中で感じている「遠さ」ではないかと思います。夜雨(よさめ)に濡れた葛の葉も、現実の葛の葉であると同時に、詠み手である不器男の心のさまをそのまま写していると言っていいのではないでしょうか。どことなく万葉集を彷彿とさせる句です。この故郷は、叙情には違いないのですが、この「あなた(彼方)」の繰り返しは、「遠さ」を越えて、もはや帰れない場所であるようにすら思えてきます。現代は、国内のどこへでも飛行機や新幹線を使えば数時間で行けるし、携帯電話があれば世界中のどこにいようと相手の声の聞ける時代です。しかし、いくら世界が変わろうと、この句に刻みつけられた心は変りようがないと思うのです。