西村麒麟の俳句

浮寝して仲間に入れて貰ひけり

西村麒麟の句集『鴨』の最後に置かれた句である。うれしいような、さみしいような不思議な余韻のある句である。高野素十の〈水尾ひいて離るる一つ浮寝鳥〉の裏をとったような句だが、俳句で浮寝鳥といえば、たいていは複数形であり、群のイメージが強い。個体を詠むとしても、しぐさや部位にフォーカスすることが多く、個と集団の関係を描いた句は少ない。しかも、この句の「個」が素十の句の個とも違うのは、この「個」は通常の個と集団の関係の外側にいるということである。なぜなら素十の浮寝鳥は、群から離れても浮寝鳥であることは変わらない。しかし、麒麟の句はその前提を疑っている。浮寝をやめたら浮寝鳥ではなくなる。確かにその通りなのだ。

友達が滑つて行きぬスキー場
ささやかな雪合戦がすぐ後ろ

一瞬なぜこれが俳句になるのかと思うような句であるが、こうした句にもこの「個」が隠れている。この句の面白さは集団との距離を生む「個」の目線からくる。句の光景を見ている目は、この光景の内側にはない。そこから距離を感じているのである。これは「関係」からの距離である。彼の目線は「関係」の外に取り残されている。

たいてい、これは孤独と解されよう。たしかにさみしさを感じさせる。しかし、彼の句はそれだけではない。同時に「おかしみ」が発生している。むしろ「おかしみ」を得るために、あえて「個」を演じているかのようである。

たとえば、フロイトは論文「快感原則の彼岸」で不快を快へ転換する一歳児の遊びについて書いている。それは、糸巻を投げては、オー(いない)オー(いない)といい、引っ張って糸巻が現れるとダー(いた)ダー(いた)といって喜ぶという遊びである。これはつまり、母親がいないことのかなしみを、この糸巻遊びの中で克服しているのだとフロイトはいうのである。麒麟の句には、そのような「ひとり遊び」に似た世界が多く見られる。

宝船ひらひらさせてみたりけり
秋の昼石が山河に見えるまで
丈草と過ごす夜長を楽しみに
学校のうさぎに嘘を教へけり
咳をしてお腹を抑へ口抑へ
腸捻転元に戻してから昼寝

挙げればきりがないが、これらはすべて「ひとり遊び」のなせる業であり、芸である。こうした芸の多彩さは、おそらくこの孤独の裏返しなのだ。

西村麒麟を孤独といったら、たいていの人は訝しむだろう。彼ほど俳壇に顔が広く、交友の幅は結社を超え、協会を超え、派閥を超え、世代を超えて多様な人とのつながりを持っている俳人はいないのだから。しかし、これができるのは彼が根本的にひとりであるからである。人とかかわらないということではない。人とのかかわり方に集団を前提としないというだけである。つまり、だれとでも一対一の関係になるのだ。一対一の関係は、ひとりの人間同士によってしか生まれない。集団や組織の関係を前提としたとき、それは損なわれるか、失われるほかない。

そして、これは俳句に対しても同じことがいえる。彼のひとり芸の多彩さは、俳句であれ、季語であれ、集団意識(固定観念)に染まらずに、外側の「個」から見られることからくる。
簡単にいえば、彼は自分の趣味に忠実なのだ。
もちろん、西村麒麟が所属しているのは古志だけであり、師は長谷川櫂だけである。彼自身、それを誇りに思っている。

灯を提げて人美しき祭かな
寄り添うて夫婦の如き海鼠かな
焚火して宇宙の隅にゐたりけり

古志誌上でもこうした句を詠んでいる。しかし、彼は岸本尚毅の俳句も大好きなのである。好きになることに条件も範囲もない。これは、自分の目で見て、自分の鼻で嗅ぎ、自分の舌で味わったものを信じるということでもある。彼の句が多彩でありながらどこか一つの顔をしているのは、自分の趣味に忠実だからであり、句の好き嫌いを見極める感覚を信じているからである。

彼は集団意識とは距離をとるが、個人的な趣味や感覚といった内なるものにはとても従順なのである。フロイトを借りるなら、彼は我儘で無力な一歳児のような内なる自己をしきりに楽しませているようにも見える。あるときはぼけて、あるときはつっこみ。またあるときは、ひとりでぼけてつっこんで。

見えていて京都が遠し絵双六

ところで、彼には好きなだけではない俳人もいる。それは八田木枯である。八田木枯という俳人は、十四歳から木枯という俳号を名乗り、十六歳で長谷川素逝、橋本鶏二に師事、十代からホトトギス誌で評価を受けた早熟の天才である。素逝死後、二十歳の時に山口誓子に師事し、天狼で注目を浴びるが、三十代で突如俳壇から影を消す。消息不明の二十年を経て俳壇に戻って来ると、これまでの句柄と一線を画した独特な世界を作り上げた。彼はその木枯に指導(選)を受けている。それは木枯が亡くなる最晩年の一年間のことであった。

彼と木枯との出会いは、知人からの誘いが発端であったという。つまり、自分の趣味で選んだのではないのだ。むしろ、八田木枯という人間に会ってから、木枯の趣味が知りたくなったのだ。それは俳句以上に、木枯の人生、そしてその人間性に惹かれたということではないだろうか。
こんな二句がある。

とびつきり静かな朝や小鳥来る 『鶉』
そしてまた静かな朝や釣り忍  『鴨』

前の句は、二〇〇九年石田波郷新人賞受賞作にあった句である。後句との間に八田木枯がいるように思える。後句には前句の初々しさからの飛躍がある。陽に陰が加わったといってもいい。おそらく「陰」の趣味世界は木枯から学んだことの一つであろう。

また、彼自身ある雑誌の中で、八田木枯に会って学んだこととして、「季語への偏愛」を挙げている。阿波野青畝のように自句だけで歳時記が出来上がるような句作もいいが、八田木枯はそれとは真逆で一つの季語を多様に掘り下げるのだという。第一句集『鶉』には木枯選の句が二十五句入っているが、たとえば冒頭の瓢箪の三句がいい例だろう。

へうたんの中より手紙届きけり
へうたんの中に見事な山河あり
へうたんの中へ再び帰らんと
すぐそこが見えざる夜や下り鮎
落ち鮎や大きな月を感じつつ
手をついて針よと探す冬至かな
冬至の日墨で描かれし人動く
墨汁が大河のごとし蕪村の忌
かたつむり大きくなつてゆく嘘よ

句集『鶉』は木枯との出会いがなければ、成立しなかったのではないだろうか。そして、彼と木枯との関係は木枯死後も終わっていない。第二句集『鴨』には次のような句がある。

鶴来ると光る小さな鏡かな
鶴鳴くやどの名で呼べど振り向かず
鳥好きの先生の死や冬の柿

八田木枯は鶴の句が有名であるが、鳥を詠んだ句が多いのも特徴である。麒麟が句集のタイトルを「鶉」や「鴨」としたのも、もしかすると鳥好きな木枯への贈り物なのかもしれない。
角川俳句賞受賞の句の中にもこんな句がある。まるであの世の八田木枯と俳句で遊んでいるかのようである。

インバネス死後も時々浅草へ

以前、どこかで彼はこんなこともいっていた。
死者のほうがいい。
ひとり遊びにはそのほうがいいのだ。「かなしみ」は「おかしみ」を連れてくるのだから。

*これは古志2019年12月号掲載の原稿です。

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