徒然やぎしぎし揺らす籐の椅子 長谷川櫂

暇と退屈は違うのだそうだ。國分巧一郎によれば、暇とは、やることがなく空いてしまっている時間のことであり、退屈とは、やるべきことがないときの負の感情のこと。だから、暇であっても退屈が生じない充実した状態もあるし、暇はないのに退屈している状態もあり得る。

こう考えると、充実した人生とは、暇を退屈にしないことといえるかもしれない。

何かに夢中になっているとき、人は時間を忘れるという。この時間を忘れている「時間」を生きられれば、充実した人生といえるのだろう。

しかし、そのような「時間」は時間を感じないのだから、永遠のようでもあり、一瞬のようでもある。浦島太郎のような人生を終えることになるのかもしれない。果たして、そのような充実した人生は幸せと言えるのだろうか。

掲句の藤椅子を揺らすほかない状態は、あきらかに退屈さを表している。にもかかわらず、負の感情はない。なぜなら、退屈であることからの距離が保たれているからである。まるで退屈という感情を楽しんでいるかのように。これがまさしく言葉本来の力であろう。

出典:句集『吉野』

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