億万の春塵となり大仏 長谷川櫂

この句の前書きには、「バーミヤン破壊を嘆く人に」とある。この句を読んで思い出したことがある。それはイランの映画監督、モフセン・マフマルバフの語った、この言葉である。

アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない恥辱のあまり崩れ落ちたのだ〉。

もう十年近く前になるが、2001年の春にアフガニスタンにあるバーミヤンの大仏がタリバーンの手によって破壊された。その大義は偶像の禁止であるが、本当の原因はもっと複雑だ。当時、このニュースは世界中で報道され、貴重な文化財の破壊だといって嘆く人が多くいた。しかし、そのころ、アフガニスタンでは旱魃よる大飢饉によって多くの人が飢え死に瀕していたという。マフマルバフは世界に向けて、こう警告を発する。

〈先頃、全世界の人々の悲哀を掻き立て、文化人や芸術家は誰も彼もが、破壊された仏像を守れ、と叫んだ。しかし、旱魃によって引き起された凄まじい飢饉のためにアフガニスタンで一〇〇万人の人びとに差し迫っている死については、国連難民高等弁務官(緒方貞子さん)の他に悲しみを表明する人がいなかったのはなぜなのか。なぜ誰もこの死の原因について発言しないのか。「仏像」の破壊については皆声高に叫ぶのに、アフガンの人びとを飢えで死なせないために、なぜ小さな声も上がらないのか。現代の世界では、人間よりも像のほうが大事にされるというのか〉。〈一切れのパンを求める民を前にして、バーミヤンの仏像は自分の大きさなど何の足しにもならないと恥じた。アフガニスタンに対する世界の無知を恥じて、自ら崩れ落ちたのだ〉。〈石仏は崩れ落ちることで瀕死にある国を指した。だが、誰もそれを見なかった。愚か者は、あなたが月をさせばその月ではなく、その指を見るのだ〉。

その年の9月11日、アメリカ同時多発テロ事件が起きる。まさに、その「指」を見る愚か者は、テロへの報復という大義を掲げ、アフガニスタンへの攻撃を開始した。さらに、その愚かさは歯止めなく、泥沼のイラク戦争へとなだれ込んでいったことは周知の通りである。恥を感じない愚かさは、ここまでくれば大きな罪でなくてなんであろう。

この句は、おそらくマフマルバフの警告とほとんど同時期に詠まれたはずである。この句は「嘆き」ではない。むしろ、清々しさすら感じ取れる。我々は塵の一粒にさえ、仏を感ずることができる。そうした心のほうが、目の前の大仏よりもはるかに大きい。

バーミヤンの石仏破壊も、アフガニスタンの旱魃と飢饉も、その本当の原因は単純なことではない。むしろ複雑すぎて、明らかにできないものである。マフマルバフは〈複雑なことを単純に語るのが芸術だ〉と言う。もちろん、俳句もその一つである。

1件のコメント

  1. 忘れてならないのは、日本政府もその愚かさに追随したということである。

    日本政府はこの戦費に数十億ドルを拠出した。その額と比べるとおまけのようだが、日本はバーミヤン大仏の修復事業に二百万ドルを拠出した。アフガニスタンの人々のためでなく、「偶像」のための大金である。

    もちろん、ペシャワール会をはじめ、アフガニスタンの人びとに手を差し伸べた日本人もいる。それらがすべて寄付金からなりたっているということと比較してみれば、本当の支援がなんなのかがよくわかる。

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