石に乗り秋の蜥蜴となりにけり 飴山實

渓流沿いの大きな石の上に両手をついて、川のほうを覗き見たのか、その石の上に腹這いになって乗ってしまったのでしょうか。石の温度や堅さを皮膚で感じながら、水と緑の匂いのする空気を胸一杯に吸って、また大きく吐き出す。炎天の夏が過ぎ、秋になってもまだ石には陽の熱がこもっている。熱を感じながら、まるで力をためているような姿は、まさに蜥蜴です。これは蜥蜴の真似ではなく、蜥蜴そのものになっているのです。そして、この句を読む人もまた同じように、蜥蜴になれる。つまり、蜥蜴への変成です。蜥蜴の生命力が、自分の体の奥底からわき上がってくるのを感じます。

1件のコメント

  1. この句は蜥蜴のことを詠んでいるのですね。俳句を始めたばかりのときは、これをニーチェ的な「生成変化」ととらえ、そのまま主語を作者としましたが、厳密に言うと、この句には主語はない。あるとすれば、蜥蜴です。蜥蜴が石に乗って「秋の蜥蜴」になったということ。だから、この句はあくまでも蜥蜴を詠んでいる。しかし、心に届くものはそれだけではすまないのです。この五七五の後ろに、あまりにあたたかいものがあるからです。

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