からっぽの蜂の巣ながれ秋の水 飴山實

蜂の巣とは女王蜂を頂点にして様々な役割や働きのある蜂たちが集まって形成する一つの社会の「器」です。しかし、秋の澄みわたった川を流れていく蜂の巣には、満ち満ちていたはずの蜜もなければ、そこで生まれ育まれた数々の命のかけらもなく、からっぽの部屋だけがあるばかり。誰もいなくなった部屋だけが流れゆく。そのからっぽな「器」に、何を見、何をつかみうるか。満たされた時間は、いつまでも続いて欲しいと願う気持ちが誰しもあるでしょう。だからこそ、移りゆくものへのまなざしには、そのときを惜しむ心が湧いてきます。まさに、からっぽであるからこそ、はかない生の営みの時間を惜しむ心が沁み込むのでしょう。澄み切った「秋の水」の透明度がなおさら、多孔状の蜂の巣への浸透力を上げていくかのように。この句には、「惜しむ」や「身にしむ」など気分をあらわす言葉は一つもないにも関わらず、自然の「動き」の一描写のみによって、おのずと読み手の心の動きをシンクロさせる力のある一句だと思います。

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