一片のパセリ掃かるゝ暖炉かな 芝不器男

上五の「いっぺんの」の促音「っ」と、半濁音の「ぺ」、つづく中七のパセリの「ぱ」のP音が、その一瞬のときの瞬間性を際立たせている句だと思います。床に落ちたパセリがさっと掃かれる瞬間、目の前から消えるものは「緑」です。緑色は生の色です。その生が一瞬にして消えてしまう。そしてパセリが掃かれる先にあるものは、暖炉の炎です。それは「赤」です。この赤とは、緑=生と対照的な赤=死です。つまり、この句がとらえている瞬間の動きとは、死に向かっている生の「はかなさ」だと思います。さらに私は、この句に「死との距離」というものを感じずにはいられません。適度に近づいた距離にあれば、そこはあたたかく、幸福感につつまれる。芝不器男は、二六歳という若さでこの世を去った俳人ですが、この句が詠まれたのは、その死の二ヵ月前、瀕死の病床においてだそうです。

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