水の香の早乙女といますれちがふ 飴山實

早乙女(さをとめ)とは、田植ゑをする女性のことですから、夏の季語です。頭の「サ」は、神様のことらしいです。さくらの「さ」も同じで、ちょうど田植ゑの時期に人々が豊作を祈る、その祈りの対象を表すのだそうです。さらに言うと、その神を山から迎えてもてなす宴が、花見の起源だと考える説もあるそうです。

この句ですが、「水の香」とは水そのものの香りではなく、おそらく水の「輝き」のことだろうと思います。例えば、万葉集に〈あをによし奈良の都は咲く花の匂ふが如く今が盛りなり〉という歌がありますが、この「匂」や「薫」は「照り輝く」という意味です。おそらく、この「水の香の」も同じように、香るだけでなく、濡れて輝いている、というようにとっていいのではないかと思います。それだけではありません。神様が山から来るように、田にはる水もまた山から来るわけですから、早乙女とはその水をまとった女である同時に、神につつまれた女でもあるわけです。

そう考えていくと、この句からまた飴山の皮膚感覚が感じられてきます。つまり直接触れているわけではなく、その横を「すれちがふ」だけであるのに、この「水の香」という神聖な輝きを皮膚呼吸してしまうわけです。そして、「いま」という言葉が、その皮膚感覚を目覚めさせているのではないかと思います。

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