俎や青菜で拭ふ烏賊の墨 松瀬青々

〈俎板に鱗ちりしく桜鯛〉

という正岡子規の有名な句があります。赤と白をイメージさせる春の句ですが、青々のほうは夏の句で青と黒。対照的な色合いです。また、青々よりも十歳程度若く、青々と同じ大阪の俳人であった青木月斗にも、

〈俎板の下手がやぶりぬ烏賊の墨〉

という句がありまして、この句は「俎(まないた)」のみならず「烏賊の墨」まで共通している句です(おそらく青々の句のほうが早いと思いますが)。

いずれにしても「俎」をあなどるべからず。「俎」というところは、実に興味深い場所なのです。その証拠に過去にも「俎」を舞台とした句は数多くあります。例えば、ざっとウェブで調べただけでもこんなにあります。

〈肴屑(さかなくず)俎にあり花の宿〉高浜虚子
〈一もじの丈俎にあまりけり〉高田蝶衣
〈俎の蓬を刻みたるみどり〉山口誓子
〈俎にながるる水や茹で蕨〉橋本多佳子
〈新しき俎があり春の寺〉原田喬
〈俎に夕日のなごり桜鯛〉森澄雄
〈寒の鮒俎にのり遠目なす〉飴山實
〈俎の海鼠の前とうしろかな〉片山由美子
〈吊されて俎乾く秋の蝉〉本橋墨子
〈包丁や氷のごとく俎に〉長谷川櫂

もはや「俎」が俳句の舞台に思えてきます。なかでも、鈴木真砂女の「俎句」は、ぐっとくる句があります。

〈俎始(まないたはじめ)鯛が睨を効かせけり 〉
〈俎始ひと杓の水走らせて〉
〈手術台へ俎上(そじょう)の鯉として涼し〉。

最後の句は、自らが「俎板の上の鯉」になることをむしろ楽しんでいるかのような潔い句です。

余談ですが、歳時記は季語でしか検索できないのですが、「俎」で検索できるようなデータベースがあるとずいぶん俳句の見え方も変わってくるような気がします。実は、子規の偉大な仕事である『俳句分類』が、そもそもそういうものであったことを思えば、今こそ「俳句分類」をすべきときなのではないかと思ってしまいます。つまり、歳時記の再構築です。歳時記の再構築はこのような「横軸」、さらに「斜め軸」の追加にあるように思います。

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