日本は男うれしき幟かな 松瀬青々

そろそろ端午の節句です。端午の節句と言えば、菖蒲、柏餅、そして鯉幟でしょう。

幟とは、そもそも中世の合戦でどちらが的でどちらが見方か分からなくなるからという理由で立てられたのが起源だそうです。つまり、軍用だったわけです。相撲でも会場の外に力士の名前を幟にして立てているのを見かけることがありますが、その名残でしょう。なので、「幟」は武家社会に根付いていった習俗であり、とりわけ戦の主体である男子を祈願する意味を持つようになったのではないかと思います。「初幟」という季語がありますが、これはその家に初めて男の子(長男)が生まれたときに立てる幟のことを言います。

ちなみに「鯉幟」は江戸時代中期に江戸の庶民のあいだでひろまったものだそうです。想像するに、田舎から立身出世を願って江戸に出てきた人たちが家を構え、町を作り、次第に家族や共同社会を形成していく過程で、新しい都市の住民たちは古い地縁や血縁を引きずった「家紋」を捨てて、「鯉」を幟にしたのではないかと思います。登り龍のごとく鯉幟が大空を泳ぐ姿が、安藤広重の浮世絵にもなっています。江戸近世にはじまったこの「立身出世主義」は、明治になってより明確になります。これまでの身分制度や家柄によらず、誰もが勤勉に学び、努力したものが成功し、出世できるという「物語」です。むしろ、近代においてはそれこそが人々の欲望を組織化していく「制度」となったわけです。それは、現在「戦後民主主義」と呼んでいるものと、そう異なるものではないと思います。

漱石の『三四郎』や『それから』の時代背景には、こうした「制度」の破綻が見え隠れしています。松瀬青々は漱石の二つ歳下ですから、この句にも、そうした日本近代の「立身出世主義」という背景も写っているのでしょう。しかし、この句は「立身出世」を意味する「鯉幟」ではなく、戦の象徴でもある「幟」です。中世の軍を象徴するはずの「幟」ですから、この句の「日本」という言葉の影に軍国家が見えてきてもなんらおかしくないし、また、この句が詠まれたのが日清戦争の勝利から日露へ向かう時期でもあったことからしても、帝国主義へ向かう当時の日本の気運をよく表わしていると言えなくもない。

しかし、この句の本意は、もちろん日本の軍国主義などにあるわけではなく、「自立した社会」を目指す人々の心意気にあるのではないかと私は思うのです。中世の「軍」とは、中央集権的な国家ではなくて「アソシエーション」です。それは中央国家からの「自治」を勝ち取っていった、氏族や部族のような戦士共同体に近いものではないかと思うのです。つまり、この句の「男」とは、兄弟同盟的な男であり、家父長制的(専制的)な男ではないと思うのです。

歴史的に見れば、大正期以降の日本は国内的には民主主義、対外的には帝国主義としてふるまっています。しかし、明治の日本には、対外的には西欧列強に干渉を受けずとも自ら「自立した社会」をつくるという気概があり、国内的には権力が中央に制度化していくことを拒否する勢力があったわけです(これは「大逆事件」を最後に消滅するわけですが)。そういう意味で、この句はおそらくこの「明治的なもの」と「大正的なもの」の狭間にあるのかもしれません。

俳句は時代を映す。しかもいい句は、見えにくいものまで映している。この句が簡単に捨てられないのは、見えにくい日本近代の歴史性が刻まれているからだと思うのです。

追記:
松瀬青々のこんなにも潔く、清々しい句の世界を前にして、何を書いても余計なことに思えてきます。青々という俳人は、どんなに「気っ風」の良い人だったことか。その人柄が伝わってきます。もし今、青々にこんな話をしたら、まあ、つまらん話はやめて酒でも飲もうと肩をたたかれるのが落ちでしょう。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA