繭玉に寝がての腕あげにけり 芝不器男

繭玉とは新年季語で、柳などの枝に繭形にまるめた餅や団子を数多くつけた、小正月の飾り物のこと。もともとは、農家の副業として養蚕が盛んだった地帯で繭の豊収を祈願して作られたものです。現在の姿は、東京でよく見かける商店街の入口などに白とピンクのプラスチック製の飾りがぶら下がっている、あれです。社寺の縁起物としても売られているものを目にしたこともあるかもしれませんが、私は形骸化した姿しか知りません。ちなみに、類似したものに餅の花がありますが、これは中世からあったそうです。

飴山實は「芝不器男論」のなかで、この句の中七の読みについて、〈ネがてのカイナ〉と〈イネがてのウデ〉の二つが考えられると書いています。飴山は〈イネがてのウデ〉と読むべきだと書いています。不器男の万葉集への傾倒をかんがみてもそうですが、確かな理由は、この句の主題に関わります。まず、この句の意味ですが、難しいのは「がて」です。「がて」は、「〜できないで」という意味です。夜、床に着いたが眠れずに、なにげなく暗闇の中に腕をあげると、その腕が何かに触れて驚く。そうか、繭玉だ。たぶん、この句はこういう情景だろうと思います。飴山は、この句の主題は、「暗闇のなかに腕をあげる」、その動きそのものだと書いています。そしてその動きが、〈ネがてのカイナ〉では、さっとあがりすぎる。減速する時間の流れを感じさせるには、〈イネがてのウデ〉でなければならないというわけです。いずれにしても、この句は不器男の他の句もあるように、きわめて近代的な映像感覚によってとらえられた、瞬間的な「動き」をとらえた句であるのは、いわずもがなです。

暗闇を皮膚で感じるようにゆっくりと突き上げられる腕と、不意にその闇の感触を断つ繭玉。実際の視覚には暗闇しかないと思います。おそらく目もつむったままかもしれません。繭玉の色は心で見ているのでしょう。この句を読む人の目にも、じんわりと闇のなかにおぼろに浮かんでくるパステルの色彩がうつるのではないでしょうか。

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