石走る水のとばしり箒木に 飴山實

この句を読む人は誰しも、万葉集にある〈石走る垂水の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも〉という有名な一首を思い起こすことでしょう。石走る(いわばしる)は枕詞で、垂水(たるみ)とは滝のことだとされています。早蕨の「さ」は、早乙女の「さ」と同じで、言祝ぎの音でもあるのでしょう。雪解水によって滝の流れは勢づき、その上に早蕨が萌え出ている。春になったのだった。春の到来を喜びに満ち満ちた歌です。ちなみに、原文では、〈石激 垂見之上乃 左和良妣乃 毛要出春尓 成来鴨〉。「石激」という文字からは水の勢いを感じるし、「毛要出」はうぶ毛の生えた蕨の姿が目に浮かんできます。

さて、飴山の句のほうですが、季節は春ではなく夏になります。箒木(ははきぎ)は、夏の季語なのです。もちろん滝もそう。水がとめどなく滝壺に落ち、水しぶきをあげる。その飛沫(とばしり)があたり漂い、水辺の箒木を白くつつんでいる。私にはそんな光景が思い浮かびます。Wikiによれば、箒木とは「遠くから見れば箒を立てたように見えるが、近寄ると見えなくなるという伝説の木」という意味もあるそうです。白く朧げなものが肌に触れる、そんなひんやりとした感覚をおぼえる一句です。

追記:
虚子の〈箒木に影といふものありにけり〉という句がありますが、飴山の頭には、この句もあったかもしれません。

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