昨年末NHKBSのドラマ『ストレンジャー~上海の芥川龍之介~』をみました。主演は松田龍平。無表情の演技がすばらしかったです。映像の品質も高く、100年前の中国の現実をリアリズムで描いていて、なかなかみごたえがありました。
芥川龍之介は、大正10年に新聞社の海外視察員としての中国を訪問しますが(紀行文「上海游記」「江南游記」)、その視察中に胃腸を悪くしたのが原因で、帰国後、睡眠薬中毒になっていきます。それが自殺の原因にもなっているともいわれます。自殺の原因は文学的な解釈もされてきましたが、半分は、この中毒症状にあるように思います。芥川には〈かいもなき眠り薬や夜半の冬〉という辛い句もあります。
芥川は漱石に処女作『鼻』を絶賛されて世に出ます。しかし芥川の書く小説は、漱石の小説とまったく違いました(芥川は西洋文学にその時代の誰よりもよく通じていたにもかかわらず、近代小説は書けませんでした)。俳句はどうかというと、これもまた漱石の俳句とはまったく違います。漱石の俳句は子規に指導を受けた写生文が根本にあります。芥川は完全に独学です。つまり、見様見真似です。惟然の〈水鳥やむかふの岸へつういつうい〉を使って、〈水さつと抜手ついついつーいつい〉などとふざけて詠んだりもしています。これは古典に精通した近代のエリートの遊戯にしか思えません。
芥川は雑誌「ホトトギス」も読んでいて、そこで〈死病得て爪美しき火桶かな〉という句をみて飯田蛇笏に惹かれたことになっていますが、本当にそうなのかは疑問です。芥川の自意識の中では〈死病得て爪美しき火桶かな〉にしてしかるべきなのでしょうが、無意識のどこかでは〈芋の露連山影を正しうす〉のような句にこそ、惹かれるものがあったような気がします(「飯田蛇笏」というエッセイに書かれていることは、芥川にいくらかの作為がありそうな気がします。詳しくは別の機会に書いてみたいと思います)。
余談ですが、芥川死後、蛇笏が詠んだ〈たましひのたとへば秋のほたるかな〉という追悼句はよく知られていますが、芥川が読んだらどう思ったでしょう。
「芭蕉雑記」を書き、「枯野抄」を書くほど、芭蕉を敬愛していた芥川ですが、自身では「俳壇の門外漢」であると言っています。また、東洋城や虚子に選を受けていましたが、新傾向の自由律の俳人たちとの交流も深く、「五目流の早仕込み」と自分を評したりしています。さらに「余技は発句の外は何もない」という言葉も残っています。この言葉は、それだけ「大事なものである」という意味合いと、あくまでも「余技でしかない」という意味合いと、どこか両義的に聞こえてきます。
さて、そこで今回は芥川の俳句を選びます。芥川龍之介の俳句というと、まずはこのあたりでしょうか。
蝶の舌ゼンマイに似る暑さかな
青蛙おのれもペンキぬりたてか
初秋や蝗つかめば柔かき
木枯や東京の日のありどころ
木枯や目刺に残る海の色
水洟や鼻の先だけ暮れ残る
兎も片耳垂るる大暑かな
元日や手を洗ひたる夕ごころ
「青蛙」の句以外は取り合わせです。「初秋」の句は「や」ではなく「の」でつないだ句のほうが一般的かもしれませんが、初出は「や」でした。芥川の句には一物も、破調もありますが、取り合わせも多めです。芥川は世代的にいうと、水原秋櫻子、山口青邨、高野素十といった4Sの俳人とほぼ同年です。ただ昭和2年に亡くなるので、芥川の俳句はほぼ大正期に詠まれています。そのあたりの時代背景も含めて読むとよいのではないでしょうか。
昭和2年、芥川の死の直後に刊行した『澄江堂句集』があります。そこには収めたのは77句、芥川は死ぬ前に自選をしていたようです。10年前に岩波文庫から加藤郁乎編『芥川竜之介俳句集』が出ていますが、この本には手帳や日記から年代順に集め、1159句が収められています。同じ句を直したり戻したりしている習作の様子もうかがえます。今回はそこから30句、選ばせていただきました。
徐福去つて幾世ぞひるを霞む海
ふくる夜に母の使や遠花火
蝙蝠に一つ火くらし羅生門
人妻となりて三とせや衣更へ
花曇り捨てて悔なき古恋や
夕闇にめぐる怪体や煽風機
秋暑く竹の脂をしぼりけり
蟻地獄隠して牡丹花赤き
ふるさとを思ふ病に暑き秋
バナナ剥く夏の月夜に皮すてぬ
春日さす海の中にも世界かな
死にたれど猶汗疹ある鬢の際
世の中は箱に入れたり傀儡師
花薊おのれも我鬼に似たるよな
短夜や仙桃偸む謀りごと
白桃はうるみ緋桃は煙りけり
鯉が来たそれ井月を呼びにやれ
万葉の蛤ほ句の蜆かな
襟巻のまま召したまへ蜆汁
妓生の落とす玉釵そぞろ寒
萱草も咲いたばつてん別れかな
花降るや牛の額に土ぼこり
春雨の中や雪おく甲斐の山
かげろふや影ばかりなる仏たち
小春日に産湯の盥干しにけり
甘皮に火もほのめけや焼林檎
乳垂るる妻となりけり草の餅
黒南風のうみ斜めなる舟ばたや
更くる夜を火星も流れ行秋や
栴檀の実の明るさよ冬のそら