迎鐘土の底よりきこゆなり 長谷川櫂

あの世は地の底にあるのだろうか。幼少のころ、祖母が家のまえて迎え火を焚いていた様子をおぼろげながら記憶している。その時の感覚では、明らかに空から来る感じであった。日本の固有信仰では死者の霊は裏山に集まり、やがて祖霊として一つになるというから、あの世が地底にあるというのは、仏教がもたらした観念かもしれない。たしかに死者の霊を招くとき、なんとなく空を見上げるのは、その名残かもしれない。私が育った東京の下町に山はないが。

迎鐘(むかえがね)とは、毎年お盆の時期に催される、京都珍皇寺の六道まいりで、先祖の霊を呼び戻すために鳴らされる鐘のこと。下五の終止形につく「なり」は伝聞。なので「聞こえるそうだ」という意味になる。われわれにとって、あの世は想像するほかないところだ。しかし、たしかに存在する。あの世のように、目に見えない世界を感じとるには、耳が最適だ。あの世とこの世はどこかで結ばれている。しかしこちらから確かめにいくことができない。できるのは、耳をひらいて、向こうの様子をうかがうことだけなのだ。

出典:句集『蓬萊』

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