この峡の水を醸して桃の花 飴山實

そろそろ雛祭ですが、近所の花屋に桃の花が並び始めました。季節の変わり目は体調を崩しやすくなりますが、この桃の花の咲く時期もそうです。古来、桃には厄よけの力があると信じられていて、大切な女の子が健康に育つようにという願いから桃の花を飾ったのが、桃の節句の起源なのだそうです。ちなみに雛人形は、自身の身代わりとして人形に厄や邪気を引き受けさせたことがはじまりといいます。

この句は、もちろん「桃の花」の句ということになるのですが、なにより中七の「醸す」という動詞が面白い。「醸す」というのは、辞書によれば二つの意味があります。ひとつは「物議を醸す」というような使い方で、その場になんらかの事態を出現させる、雰囲気を生みだす、という意味です。もうひとつは麹や微生物を発酵させる、醸造するという意味です。もちろん酒もそうですが、醤油、味噌、酢なども醸造物ですから、日本での醸造の歴史は太古までさかのぼれるそうです。万葉集には家持の〈雪の上に照れる月夜に梅の花折りて贈らむ愛しき児もがも〉という代表的な雪月花の歌がありますが、伝承料理研究家の奥村彪生さん曰く、家持がこの歌を詠んだのは宴の席で、すみざけ(清酒)の上に梅の花びらを浮かべて飲んでいたということです。

桃の花でも、和漢朗詠集のなかにおさめられている〈みちとせ(三千歳)になるてふ桃のことしより花咲く春にあいひにけるかな〉(『拾遺集』)という歌があります。山本健吉によれば、この歌は三千年に一度咲き実る桃の花があるという故事にさかもぼる、三月三日に桃の花を盃に浮かべ酒を飲めば、邪気を祓い、齢を延べるという信仰がバックボーンにあるいうことです。この信仰は、「桃源郷」という道教的なユートピア思想ともつながっているはずです。

そう考えていくと、この句も二通りの解釈が出来そうです。まず峡(かい)とは山と山のさかい、境界ということです。山と山のあいだを流れる水。その水に邪気を祓いたまう力を漂わすほど、桃の花が灼灼と咲いている。あるいは、家持のようにその水を醸造した酒に桃の花びらを浮かべ飲んでいる。つまり、述語=「醸す」に対する主語=「桃の花」として解釈するか、下五の「桃の花」を取り合わせた句として解釈するかですが、ここまでくれば、その解釈の違いになんら大きな違いはないということが分かってきます。それはおそらく、「醸す」という動詞が自動詞と他動詞の中間にあるような微妙な性質をもっているからかもしれません。

飴山實は俳人であると同時に大学で発酵醸造学を教える微生物学者でしたが、まさに「醸す」という動詞のもつ力を強く意識していたに違いありません。

いずれにせよ、うまい酒が飲みたくなる一句です。

1件のコメント

  1. 飴山實には〈潺々(せんせん)と水来て去りぬ桃の花〉という桃の花の句があります。これは〈この峡の水を醸して桃の花〉がおさめられた句集「次の花」の前の句集「辛酒小雪」に入っています。どちらも「水」と「桃の花」の取り合わせです。ちなみに辞書によれば、「潺々」とは、浅いところを水がさらさらとよどみなく流れるさまを言うそうです。

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