大野晋さんに学ぶ

今年の二月に浅利誠という学者の『日本語と日本思想』という本を読んだのですが、その中で知った大野晋という国語学者がいます。大野さんは、残念ながら先月八十八歳で亡くなったそうで、たまたま本屋で見つけて読みはじめたら、はまってしまいました。

私が俳句をやりはじめたせいもあるのですが、母国語である日本語を外国語のようにしてとらえ直すことで、気づくことが多くあります。外国語はもちろん学ぶほかないですが、国語はいつのまにか習得しているので、わざわざ学ぶ必要もなかろうと思う人も多いかもしれないですが、それはまったく誤解です。なぜなら、人は母国語によってはじめて思考し、認識することができる。その母国語がしっかりできていない人は、外国語を学んでも中途半端になるでしょう。漱石も鴎外もそうでしたが、外国語のできる人は、国語がよくできます。もちろん、その逆もしかりです。

日本人は古来、漢字をとりいれることによって物事をより正確に、認識できるようになりました。日本語の中から、漢字がなくなると、ほとんど抽象的な思考は不可能になります。さらに、大野さんが発見した日本語の起源に関する重大な事実とは、大和言葉といっている和語ですら、実は外からやってきた言葉だということです(大野さんは、南インドのタミル語との音や文法の共通性から、和語は仏教と一緒に漢字がやってくる以前に、海洋によって渡来したという説をとなえています。おそらく「定住革命」以前は、そうとう人は移動していたのではないでしょうか)。

さらに、そうして定着した和語も、時代情勢や環境の変化によって、緩やかに意味を変えていきます。例えば、「うつくし」、「うるはし」などという和語がありますが、そもそも漢字において「美」は「大きな羊」であり、麗は「大きな角のある鹿」ですから、ずいぶん意味の中身がずれています。当然ですが、英語の「ビューティ」の語源とは根本的に違います。しかも、「うつくし(い)」は、平安時代は現代の「かわいい」の意味に近かく、室町以降になって、現在使っているような意味になったのだそうです。「うるはし」も整っているとか端正だとか几帳面だとかいう意味で使われていて、奈良時代は風景に対する形容に使われていたのだそうです。つまり、言葉は不可逆的に生成変化を続けてきたわけですね。

ようするに、あらためて言葉の面白さに気づいてしまったということでしょう。それは、面白い言葉ということではありません。言葉そのものが面白いということです(ちなみに「おもしろ」とは、目の前が急にぱっと明るくなるという意味があるそうです)。

いつか、大野晋さんの『係り結びの研究』という大著を読もうと思っているのですが、そこで大野さんが発見したのは、平安時代と室町時代の間に「係り結びの消滅」があり、そこで係助詞ハと格助詞ガが頻出してくるということです(大野さんは助詞ハとガの違いを簡潔に説明していますが、詳細は本を読んでみてください)。日本文化は、平安時代と鎌倉、室町時代との間には、非常に大きな変化があるように思えます。俳句の祖先である俳諧連歌もそうですが、猿楽から派生した能や狂言にしろ、浄瑠璃や説教節や落語のもとになった節談説教、あるいは茶道や花道など、日本文化の源泉となるさまざまなものが、この時期にできているんですね。おそらくは、どれもが鎌倉仏教がもたらしたものとつながっているように思いますが。

ちなみに浅利さんの『日本語と日本思想』という本は、助詞ハを「真犯人」として日本思想の問題領域を「謎解き」のように迫ってゆくスリリングな本なのですが、実は、この本の中で「謎解き」は終わっていません。吾輩は猫である。名前はまだ無い。これは漱石の『猫』の冒頭ですが、文頭の「吾輩は」の助詞ハは、ピリオドを越えて「名前はまだ無い。」にも係っていて、しかもその先の述部へ向かっても暗に係っていきます。浅利さんは、この助詞ハを「怪物」と形容していますが、おそらく「係り結び」とは何なのかが分からないと、助詞ハという「怪物」が出てくる理由が分からないのではないかと思います。「係り結び」には、一般的な倒置による強調というだけでない、何かもっと根源的な意味が見いだせるように思うのです。

とにかく追悼どころではありません。遅まきながら、「大野晋ブーム」が私にも到来しました。

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