風鈴やしんと戦争ありにけり 長谷川櫂

最後がもし「ありけり」であれば、むかし戦争があったそうだということになるが、この句は「ありにけり」。つまり、そこに戦争があった、そのことにいま気づいたということである。

しかも、この句は「しんと」戦争があったという。戦争というと、戦場に戦闘機や戦車の音や砲撃の音など、騒がしいものと思いがちである。しんと戦争があったとはどういうことか。

戦争には語られる歴史と語られない歴史がある。戦争を経験した人間の記憶の中にしかないものもあるだろう。おそらく大岡昇平のような作家ですら書きえなかったような出来事があるはずだ。

つまり、戦争があったとは、戦争を経験した人間がそこにいたということであり、死ぬまで沈黙するほかないような、重く動かしようのない経験をした人間が存在したということだ。

作者は、そのことに気づいたのだ。

風鈴の音は、そんな戦争によって閉ざされた人の心をいやしているのだろうか。それともまた陰惨な戦争の記憶を呼び覚ましているのだろうか。

出典:句集『太陽の門』

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