涼しさや井戸をかたへの能舞台 飴山實
能舞台は古来、屋外にあるもの。この句の舞台も、能楽堂のように建物の中に造られる舞台ではない。まして、井戸という日常生活で使われるものが側にある能舞台である。いかにも涼しげである。 ※古志HPの「今日の一句」の7月29日掲...
能舞台は古来、屋外にあるもの。この句の舞台も、能楽堂のように建物の中に造られる舞台ではない。まして、井戸という日常生活で使われるものが側にある能舞台である。いかにも涼しげである。 ※古志HPの「今日の一句」の7月29日掲...
紙魚(しみ)とは、古くからいる書物の害虫。銀白色の鱗があり、よく走る。尾形光琳はきらびやかさをほこる琳派の大家。紙魚すらも美しく輝くのは、光琳忌なればこそ。光琳を讃える一句。 ※古志HPの「今日の一句」の7月19日掲載分...
夏の昼下がり、道端のひとつところが濡れている。ひと休みしたのか、ひと商売すましたのか、金魚売がやってきたところはかならず水に濡れている。かつて、金魚売は水をはった木桶に金魚を入れ、それを二つ天秤棒にさげて売り歩いた。その...
鮎は水中の岩について藻類を食べる。その鮎を食べたあとに、藻の香りがのこっている。それは岩魚でも鱒でもなく、まがうことなく鮎を食べたということ。食べるということは、食物連鎖の中にあるということでもあるのだ。 ※古志HPの「...
「てにをは」の使い方の見本のような一句。飴煮(甘露煮)は日本古来の保存食。鮴(ごり)とは、沙魚に似て、細身な体の割りに鰭が大きい。この句で、鮴は味だけでなく、その姿を堪能させる魚だというのである。鮴の命の形にも思えてくる...
蟇の「鼻」と藻の「花」が水面で出くわしている。その出来事を詠んでいるだけなのだが、どこか生きもの同士の交流をユーモラスに描いているようでもある。不思議とアニミズム的な世界に引き込まれる感じがある。 ※古志HPの「今日の一...
上五の「この山」とは、大阪と京都の間にある山崎蒸溜所のことであろう。山崎はその水が万葉集に歌われていることでも知られる。椎も万葉集の歌に出てくる日本古来の樹木である。その山の風土を呼吸しつつ、遠い国に根を持つはずのウィス...