刈らんとて芒にふかく沈みたる 飴山實
この句もまた、飴山實の皮膚の浸透力を感じさせてくれる一句です。夏の芒は青々しているが、秋になると芒は金色に変わる。「刈らんとて」というのは、月見のために芒原に分け入って刈り取ってこようというのでしょう。風にたなびく芒がし...
この句もまた、飴山實の皮膚の浸透力を感じさせてくれる一句です。夏の芒は青々しているが、秋になると芒は金色に変わる。「刈らんとて」というのは、月見のために芒原に分け入って刈り取ってこようというのでしょう。風にたなびく芒がし...
この句の中心は何処にあるか。蟻も目高も夏の季語ですが、焦点は蟻のほうにあっているので、たしかに蟻のほうに重心があります。分類するときは、蟻の句でいいのだろうと思います。しかし、蟻の重さをとらえているのは、へこんだ水の表面...
そろそろ雛祭ですが、近所の花屋に桃の花が並び始めました。季節の変わり目は体調を崩しやすくなりますが、この桃の花の咲く時期もそうです。古来、桃には厄よけの力があると信じられていて、大切な女の子が健康に育つようにという願いか...
懐手(ふところで)とは冬の季語で、着物の懐に手を入れて暖めることです。「懐中手」とも書きます。腕組みに近いですが、和服の袂に腕をつこんでいるしぐさです。しぐさというのは一つの記号ですから、状況のよって様々な意味をなします...
この句を読む人は誰しも、万葉集にある〈石走る垂水の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも〉という有名な一首を思い起こすことでしょう。石走る(いわばしる)は枕詞で、垂水(たるみ)とは滝のことだとされています。早蕨の「さ...
蕪村の〈線香の灰やこぼれて松の花〉という、スローモーションのような静かな句がありますが、この飴山の句は対照的に勢いと力強さがあります。もちろんこの句は「一陣の風におどろく」と「松の花」とのあいだに切れがあり、句中に切れの...
はたはたとは、飛蝗(ばつた)のことで、秋の季語です。冬の季語に魚のはたはた(鰰)があるので混同しそうですが、この句の場合は、飛蝗のことだろうと思います。昨年の秋、江ノ島で蜻蛉(とんぼ)の群れが、潮風に向かい合うて飛んでい...