この句を思い出すたびに、なぜか、Boys, be ambitious(少年よ、大志を抱け)という、札幌農学校のクラーク博士の言葉が脳裏に浮んでくる。
札幌農学校は北海道開拓政策の拠点であるが、日本は北海道での成功体験を、そのあと沖縄や台湾、朝鮮半島と場所を移して繰り返していく。いわゆる同化政策と呼ばれるものである。日清戦争、日露戦争もこの植民地主義政策の延長でやっている。
この「be ambitious」という言葉は、クラークがほんとうにそういったのかどうかは、どうもさだかではないらしいが、おそらくこのフレーズが一般に広がったのは、明治末期から大正にかけて、まさに草田男が少年だった頃のことではないかと思われる。
「少年よ、大志を抱け」と言えば、まことに美しく健やかな感じに聞こえるが、実はこの言葉はそもそも「大陸に飛躍する野心」といった、植民地主義的なスローガンとして広がっていったのではないかと批判する学者もいる。
純化すれば美しいものだが、現実にもどせば、汚いもの、おぞましいものも見えてくる。それが、あたりまえのことかもしれないが、草田男の美しすぎるこの玫瑰の句にも同様のものを感じてしまうのである。それが詩の宿命なのだとしても。
玫瑰の句が詠まれたのは、草田男が三十三歳、すなわち昭和八年のことである。満州事変がおきたのは、その二年前の昭和六年であり、そして、四年後の昭和十二年には日華事変がおきている。この句を読んだ当時、草田男の心の中には、いったいどんなものがあったのか。