流木や嘆き疲れて秋の風 長谷川櫂

われわれは歴史を語ることはできるが、その正しさを証明することは不可能だ。なぜなら、われわれはその歴史の中にいるから。まして俳句はその短さ故、語ることすらむずかしい。

俳句は読み手との対話にひらかれている。だからこそ、つねに生きた問いとなる。

掲句は、句集『沖縄』、第一部「沖縄」の終盤に収録されている一句。太平洋戦争末期、沖縄は激戦地となり、20万という人命が失われた。0歳児から老人まで島民の4名に1人が犠牲となったと言われる。多大な犠牲者を出した沖縄は、米国の支配下に置かれ、1972年に日本に返還されたが、今もなお本島面積の15%に米軍基地が点在する。これは日本国内の米軍基地の7割に及ぶ。

第一部「沖縄」には〈忽然と戦闘機ある夏野かな〉〈夏草やかつて人間たりし土〉〈亡骸や口の中まで青芒〉〈大夕焼沖縄還るところなし〉のように、犠牲者への鎮魂だけでなく、今現在の沖縄の置かれた状況への批判が込められた句が並んでいる。

こうした流れから掲句に出合うと、この「流木」はまるで沖縄という島の姿そのものに思えてくる。

出典:句集『沖縄』

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