蓬萊や夏は大きな濤の音 長谷川櫂

大きな濤の音が聞こえている。現実に起きていることは、ただそれだけである。

蓬萊とは古代中国の伝説の山である。東の海上にあり、不老不死の薬を持つ仙人が住むと言われた。濤の音を聴いて、作者は蓬萊を思い浮かべた。いや、蓬萊にいる心地さえしたのだろう。

この句は中七の「夏は」がポイントである。たとえば、一言で「夏怒濤」と言えば、濤全体を感じられても、あらためて夏であることに気づく必要はない。「夏は」といって係助詞によって夏を強調したことにより、読者は濤の音から夏であることに気づく、そのプロセスを得ることができる。

散文にすれば「蓬萊というところは、夏には大きな濤音がする」ということだろうが、切れ字の「や」と係助詞「は」を巧妙に用いることで、読者は散文的な意味から解放され、今ここでその大きな濤の音を聴き、夏であることに気づき、そして蓬萊にいるかのような心地になれる。

出典:句集『吉野』

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA