けさもまた今日のはじまり初音して 飴山實
初音とは、その年最初の鶯の鳴き声のことです。まっ先に春の訪れを感じさせるものが、視覚ではなく聴覚に響くものだというのはうなづけます。この句の「けさもまた今日のはじまり」とは、今朝もまたいつもと同じように一日が繰り返される...
初音とは、その年最初の鶯の鳴き声のことです。まっ先に春の訪れを感じさせるものが、視覚ではなく聴覚に響くものだというのはうなづけます。この句の「けさもまた今日のはじまり」とは、今朝もまたいつもと同じように一日が繰り返される...
竹と竹が密に組み合って、昨晩降り積もった雪を支えている様子を思い浮かべますが、この句が詠まれたときにこの景はもはや跡形もないのです。なぜなら「さゝへけり」の「けり」という大きな切れ字は、「〜だったのだなあ」という気づきの...
日本酒を最近おぼえたせいもありますが、実感として詠めます。句を詠んでいるだけなのに、ほんとうに憂きことが鼻から抜けていきます。松瀬青々は子規からの評価が高かった俳人で、関西のホトトギス派の重鎮だそうです。もともと数学が得...
芭蕉の辞世の句〈旅に病んで夢は枯野をかけめぐる〉の本歌取りというか、本句取りです。もちろん芭蕉批判ともとれる句です。芭蕉にとって「旅」とは、反復強迫、つまり一つの「病い」だと思います。芭蕉には、心の内側から何度も何度もや...
日が長くなってくると春を感じます。冬あいだ中、しんとしずまりかえった世界にあった生きものたちが、春の気配を感じながら徐々に動きをとりもどす。おそらく、この句もそのような瞬間をとらえたのだろうと思います。永き日とは、つまり...
渓流沿いの大きな石の上に両手をついて、川のほうを覗き見たのか、その石の上に腹這いになって乗ってしまったのでしょうか。石の温度や堅さを皮膚で感じながら、水と緑の匂いのする空気を胸一杯に吸って、また大きく吐き出す。炎天の夏が...
先週末、長池講義をうけてきました。初っぱなは、山下範久さんによるウォーラースティンの世界システム論をふまえての「ポランニー的不安とメタ普遍主義」という話。続いて、いとうせいこうさんの実物を使っての浄瑠璃考と高澤秀次さんの...