時鳥ぬばたまの間に一夜かな 長谷川櫂
「ぬばたまの間」とは、木々の間にひらけた闇夜の空だろう。そこに夏の到来を告げるホトトギスの鳴き声が響き渡っている。その声をきいていたら、一夜が過ぎてしまったというのだ。 掲句を一読すると、あの『万葉集』を編纂した大伴家持...
「ぬばたまの間」とは、木々の間にひらけた闇夜の空だろう。そこに夏の到来を告げるホトトギスの鳴き声が響き渡っている。その声をきいていたら、一夜が過ぎてしまったというのだ。 掲句を一読すると、あの『万葉集』を編纂した大伴家持...
一読すると瑞々しい世界を想像するが、再度読み直すと、聖セバスチャンの殉教図が思い浮かんできた。それは、有名なイタリア・バロック期のグイド・レーニの聖セバスチャン図だ。 グイド・レーニの聖セバスチャン図は、腰衣一枚の裸の青...
大きな濤の音が聞こえている。現実に起きていることは、ただそれだけである。 蓬萊とは古代中国の伝説の山である。東の海上にあり、不老不死の薬を持つ仙人が住むと言われた。濤の音を聴いて、作者は蓬萊を思い浮かべた。いや、蓬萊にい...
暇と退屈は違うのだそうだ。國分巧一郎によれば、暇とは、やることがなく空いてしまっている時間のことであり、退屈とは、やるべきことがないときの負の感情のこと。だから、暇であっても退屈が生じない充実した状態もあるし、暇はないの...
陀羅尼助(だらすけ)は腹痛の薬。大峯山の山伏たちが広めたとされる、古くからある薬で、元禄の頃に商品化されたらしい。苦さが特徴で、〈だらすけは腹よりはまず顔にきき〉という川柳ものこっている。 掲句は、蟇が陀羅尼助を売ってい...
端午の節句のとき、新聞紙か何かで折った兜であろう。この紙の兜は飾りである。それをかぶっても、実際に刀で切りかかられたら、ひとたまりもない。紙の兜をかぶって、戦場に出ていくものはいない。だから「戦せぬ」なのだ。 この「紙の...
最後がもし「ありけり」であれば、むかし戦争があったそうだということになるが、この句は「ありにけり」。つまり、そこに戦争があった、そのことにいま気づいたということである。 しかも、この句は「しんと」戦争があったという。戦争...