少年は驕れる鶏を制しけり 松瀬青々

鶏合(とりあわせ)が春の季語です。闘鶏(とうけい)、勝鶏(かちどり)、負鶏(まけどり)といった類季語があります。平安時代の宮廷には、三月三日に鶏を闘わせる行事があったのだそうです。奈良時代に唐の国からわたってきた風俗で、そもそも占いの一つだったという話もありますが、おそらく今でいう年末の「PRIDE男祭り」のようなものだった、というか、退屈だったのでしょうね。江戸時代から明治にかけては、鶏合が博打の一つとして流行したのだそうですが、大正時代になって禁止されたのだそうです。この松瀬青々の句は、おそらく禁止されてまもないころに詠まれているのではないかと思います。

この句のほかに青々は、〈抱いて来し鶏の凄さよ睥睨す〉という句も詠んでいます。「睥睨」(へいげい)とは、にらみつけることです。鶏のするどい眼光が目に浮かんできます。どちらの句も、若仲の絵をどうしても思い浮かべてしまいますが、今にも飛びかかってきそうな、荒々しいおんどりの姿が生きたまま一句に仕立てられているといった感じです。でも、この句のほうがいいと思うのは、やはり「少年」という言葉にあります。少年が大人になっている姿です。少年は自らの野生を制すがごとく、鶏を制する。そうやって、人は自らを律することを学んでいくのでしょう。

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