日のあたるところがほぐれ鴨の陣 飴山實
引っ越ししてからか、飴山實全句集を詠んでからか、どうも鴨という生きものが気になって仕方がないのです。鴨は冬の季語になりますが、あのフォルム、しぐさ、声、表情、どれをとっても、なんともいえぬ愛らしさを感じるのです。私がいま...
引っ越ししてからか、飴山實全句集を詠んでからか、どうも鴨という生きものが気になって仕方がないのです。鴨は冬の季語になりますが、あのフォルム、しぐさ、声、表情、どれをとっても、なんともいえぬ愛らしさを感じるのです。私がいま...
鳰(にお)とはカイツブリのことです。通常、鳰は冬の季語になりますが、ここでは主の季語が花筏(はないかだ)なので、春の鳰です。この句は、池一面を覆う桜の花びらの下から、鳰がひょいと顔を出す、その瞬間を詠んでいます。鳰は潜水...
繭玉とは新年季語で、柳などの枝に繭形にまるめた餅や団子を数多くつけた、小正月の飾り物のこと。もともとは、農家の副業として養蚕が盛んだった地帯で繭の豊収を祈願して作られたものです。現在の姿は、東京でよく見かける商店街の入口...
この句はあまりにさっぱりしていて、物足りなさを感じるかもしれませんが、七草粥とはまさにそういうものです。粥の透き通るような白の中に映える七草の青のように、潔く生きたいものです。一月九日は青々忌。 初夢の吉に疑無かりけり ...
この句には前書きに「仙台につく途はるかなる伊予の国をおもへば」とあり、はるか彼方に故郷を想ふ句であることがわかります。ホトトギスに掲載され、虚子が絶賛したことで、不器男が一躍注目を浴びることになった句として、よく知られて...
中七の「夕陽」のあとで切れを入れて詠むと、下五の「子と沈む」にものすごい重力を感じると思います。読み手も湯の中に引きづり込まれて、湯に聴覚が密封されるからでしょうか、現実から遮断されたような感覚に陥るのです。湯に沈んでい...
芯の芯まであつあつになった風呂吹き大根の上に、濃厚な味噌がかかる。大根があまりに熱いため、かけた味噌がとろけて、その側面を流れ落ちる。このわずかな瞬間をスローモーションでとらえた一句です。こういう映像は、映画やテレビで繰...