白藤の揺りやみしかばうすみどり 芝不器男

白藤が春風に揺られるときは、たしかに目に映る色は白だったはずなのに、それが止んだとたんに、その花びらの白の奥に緑が微かに見える。はっとして、その色に気づくもつかの間、またすぐに藤は揺れて白の残像にひきづられた花となる。つる性に生えるその形態や、その白い花びらの透明感から、「白藤」のありようを一瞬の「動き」によって、生き生きと、しかも的確にとらえています。不器男のこの驚くほど繊細な感覚に、私はぞっとするものを覚えます。通常、私たちがものを見るというときの「見る」という行為とは、まったく違う「目」が、この句にあるのではないかと思います。

永き日のにはとり柵を越えにけり
椿落ちて色うしなひぬたちどころ
白浪を一度かゝげぬ海霞
麦車馬におくれて動き出づ

不器男のこうした一連の句も、この一瞬の「動き」をとらえる「目」によって詠まれた句だと云えると思います。

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