日のあたるところがほぐれ鴨の陣 飴山實
引っ越ししてからか、飴山實全句集を詠んでからか、どうも鴨という生きものが気になって仕方がないのです。鴨は冬の季語になりますが、あのフォルム、しぐさ、声、表情、どれをとっても、なんともいえぬ愛らしさを感じるのです。私がいま...
引っ越ししてからか、飴山實全句集を詠んでからか、どうも鴨という生きものが気になって仕方がないのです。鴨は冬の季語になりますが、あのフォルム、しぐさ、声、表情、どれをとっても、なんともいえぬ愛らしさを感じるのです。私がいま...
鳰(にお)とはカイツブリのことです。通常、鳰は冬の季語になりますが、ここでは主の季語が花筏(はないかだ)なので、春の鳰です。この句は、池一面を覆う桜の花びらの下から、鳰がひょいと顔を出す、その瞬間を詠んでいます。鳰は潜水...
中七の「夕陽」のあとで切れを入れて詠むと、下五の「子と沈む」にものすごい重力を感じると思います。読み手も湯の中に引きづり込まれて、湯に聴覚が密封されるからでしょうか、現実から遮断されたような感覚に陥るのです。湯に沈んでい...
蜂の巣とは女王蜂を頂点にして様々な役割や働きのある蜂たちが集まって形成する一つの社会の「器」です。しかし、秋の澄みわたった川を流れていく蜂の巣には、満ち満ちていたはずの蜜もなければ、そこで生まれ育まれた数々の命のかけらも...
真夏の山は日光の直射にあたためられて、土や草木にたくわえられている水分もどんどん蒸発し、その水蒸気が空気中にある。その水蒸気が光に反射してゆらゆらと見える。山をとり巻くそのぼんやりしたものを、にわか雨が一気に洗い流してし...
初音とは、その年最初の鶯の鳴き声のことです。まっ先に春の訪れを感じさせるものが、視覚ではなく聴覚に響くものだというのはうなづけます。この句の「けさもまた今日のはじまり」とは、今朝もまたいつもと同じように一日が繰り返される...
渓流沿いの大きな石の上に両手をついて、川のほうを覗き見たのか、その石の上に腹這いになって乗ってしまったのでしょうか。石の温度や堅さを皮膚で感じながら、水と緑の匂いのする空気を胸一杯に吸って、また大きく吐き出す。炎天の夏が...