漱石の俳句(9)秋風の聞こえぬ土に埋めてやりぬ
漱石は猫で有名ですが、犬も飼っていました。『元祖・漱石の犬』という本によれば、明治三〇年、漱石は鏡子の流産のあと、その傷を癒すためか、一匹の仔犬を飼ったそうです。写真も遺っています。しかし、その仔犬とは一年で引っ越しの際...
漱石は猫で有名ですが、犬も飼っていました。『元祖・漱石の犬』という本によれば、明治三〇年、漱石は鏡子の流産のあと、その傷を癒すためか、一匹の仔犬を飼ったそうです。写真も遺っています。しかし、その仔犬とは一年で引っ越しの際...
明治四三年八月二六日、漱石は療養中の伊豆で大量の血を吐き、危篤状態に陥ります。数日生死をさまよい、一命を取り留めます。これが世に「修善寺の大患」と呼ばれる事件です。このときのことは、翌年四月に発表された随筆『思い出す事な...
運命とは残酷で、また面白いものです。明治三三年、漱石は文部省から英国ロンドン留学を命ぜられます。漱石の俳人としての運命は一旦ここで断ち切られることになるわけです。もし、このまま漱石が俳人としての道を進んでいたら、いったい...
明治二九年、漱石は結婚します。その年、妻・鏡子は流産。ノイローゼ(ヒステリー症)から投身自殺の未遂をおこします。漱石は当時、鏡子と手首を糸で結んで寝たこともあったそうで、小説『道草』にもそのときの描写があります。 《或時...
漱石は手紙魔としてもよく知られています。『行人』や『こころ』のように手紙形式の小説もあるくらいです。漱石の句集をみると、手紙に書き添えた俳句が多いことに気づきます。様々な人に書き贈った俳句が収録されているのです。習作とし...
漱石の俳句でもっとも有名なのは、明治三〇年、熊本時代の次の句ではないでしょうか。 木瓜咲くや漱石拙を守るべく この句は、陶淵明の詩「帰園田居」に出てくる「守拙帰園田」(拙を守って園田に帰る)が下敷きにされています。陶淵...
現存する漱石の俳句は二千五百句あまり。子規の俳句と比べるとその一割もありません。そのうち明治二八年から明治三三年までの約六年間に詠まれた句は千七百以上におよび、全体の七割を占めています。すなわち、漱石が松山中学校の英語教...