真白な山また山や春動く 長谷川櫂

雪に覆われた山々が折り重なるようにみえる。いわば、この句は「白」のグラデーションだけで描かれている。微妙な白だけの陰影は波のように確かに息づいているかのようである。作者はそこに春の気配を感じたのだ。

古代の神々の世界のようでもあり、現代の抽象絵画の表現のようでもある。しかも何一つ難しい言葉が使われていない。小学生でもわかるようにできている。

阿波野青畝の〈山又山山桜又山桜〉は視聴覚的にリフレインが使われており、どこかモダンなグラフィックデザインのような感じがするが、掲句のほうは、いうなればモノクローム映像のようである。まるで、死の中からゆらゆらと生が立ち現れてくるような世界と言えばいいだろうか。あるいは、物質と生命の間といえばいいだろうか。

デザイナーの原研哉は『白』の中でこう述べている。

《白があるのではない。白いと感じる感受性があるのだ。》

この句の白もまた説明するよりも、感じるほかないものである。

そして忘れてはならないのは、この句が 『震災句集』が編まれた当時に読まれた句だということだ。悲しみで閉ざしてしまった心の硬直が、今ようやくかすかに動き出す。そんな希望の気配を感じることさえできる。

掲句出典:『震災歌集 震災句集』

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