漱石の俳句(7)筒袖や秋の柩にしたがはず
運命とは残酷で、また面白いものです。明治三三年、漱石は文部省から英国ロンドン留学を命ぜられます。漱石の俳人としての運命は一旦ここで断ち切られることになるわけです。もし、このまま漱石が俳人としての道を進んでいたら、いったい...
運命とは残酷で、また面白いものです。明治三三年、漱石は文部省から英国ロンドン留学を命ぜられます。漱石の俳人としての運命は一旦ここで断ち切られることになるわけです。もし、このまま漱石が俳人としての道を進んでいたら、いったい...
二〇一四年、漱石から子規へ送った手紙があらたに発見されたというニュースがありました。手紙の日付は明治三〇年八月二三日。その中に未発表の俳句が二句ありました。 禅寺や只秋立つと聞くからに 京に二日また鎌倉の秋を憶ふ 二句目...
漱石は手紙魔としてもよく知られています。『行人』や『こころ』のように手紙形式の小説もあるくらいです。漱石の句集をみると、手紙に書き添えた俳句が多いことに気づきます。様々な人に書き贈った俳句が収録されているのです。習作とし...
漱石の俳句でもっとも有名なのは、明治三〇年、熊本時代の次の句ではないでしょうか。 木瓜咲くや漱石拙を守るべく この句は、陶淵明の詩「帰園田居」に出てくる「守拙帰園田」(拙を守って園田に帰る)が下敷きにされています。陶淵...
現存する漱石の俳句は二千五百句あまり。子規の俳句と比べるとその一割もありません。そのうち明治二八年から明治三三年までの約六年間に詠まれた句は千七百以上におよび、全体の七割を占めています。すなわち、漱石が松山中学校の英語教...