迎鐘土の底よりきこゆなり 長谷川櫂
あの世は地の底にあるのだろうか。幼少のころ、祖母が家のまえて迎え火を焚いていた様子をおぼろげながら記憶している。その時の感覚では、明らかに空から来る感じであった。日本の固有信仰では死者の霊は裏山に集まり、やがて祖霊として...
あの世は地の底にあるのだろうか。幼少のころ、祖母が家のまえて迎え火を焚いていた様子をおぼろげながら記憶している。その時の感覚では、明らかに空から来る感じであった。日本の固有信仰では死者の霊は裏山に集まり、やがて祖霊として...
生態系は空気と水の循環システムの上で動いているサブシステムである。人が小鳥と同じ生態系の内にあるかぎり、空気と水はその生命の維持に欠くことのできない「ありがたい」ものである。ただ、この句外には、生態系を壊し続けている人の...
もし子にこう言って泣かれたら、何と言うだろうか。子に難しいことを言っても仕方がないし、泣いても仕方がないとも言えない。かといって、器に水をはり、そこに月を映すなどといったことをわざわざするとも思えない。せいぜい、「とって...
ふざけあっていたのか、酒を呑みすぎたのか、祭のさなか勢いあまってか。いずれにしても喧嘩っぱやい江戸っ子であろう。オレのほうが強いぜ。ふん、オレの方が強いさ。なに。なんだと。やるか。やるとも。相撲をとりたかっただけなのかも...
帰るところがないのだ。しかも、その帰るところがないというところへ「帰る」というのだ。それは漂泊の一語で説明のつくことではない。私は、この句を読むと、坂口安吾のエッセイ「文学のふるさと」や「日本文化私観」の一節を思い出さず...
産卵を終えた鮎の数が日に日に増して川を下ってくる。この句の「水」は川を流れる水であるが、もはやただの水ではない。生を受けたものが自ずと死へ向かっていく、その動きそのものとも言えるし、生や死をこえたところにあるものとも、お...
月の変容ぶりとは対照的に、太陽は不変。ずっと変らず、「いつもまんまる」である。残暑はいつまでも続くように思えたとしても、いつかは終わる。太陽の変らなさと比べれば、一時である。下五で、「秋暑し」と暑いことを暑いと肯定的に言...