卵の形状をあらわしただけの句ではないか。一読したときはそう思った。しかし「寒卵」という季語を中心によく読んでみると、それだけではないことに気づいた。食べ物の少ない冬の時期にあって、いただく卵の命はとりわけありがたい。下五の「かへりくる」という言葉は、どんな命もどこかでつながっていて、また新しい生命となって帰って来るということを言外に感じさせる。この二十一世紀の日本にも餓死する子どもはいる。貧困による心中や子殺しも起きている。こんな現実の悲惨さを前に読むと、むしろこの句のように「抽象」でしか届かないものがあるように思えて来る。