花杏汽車を山から吐きにけり 飴山實

杏の花が咲く春を迎えて、山はぬくめられた水分によってゆらゆらと動き始める。人の気持ちも同じように動き出します。生活においても、都心に出てくる人、また故郷に帰る人と、移動の多い頃でもあります。杏の花が咲き乱れる山のふところに、汽車が力強く一気にトンネルから走り出てくる。かじかんでいた皮膚の毛細血管に熱い血がどっと流れてくるようで、おのずと人の気持ちも盛りあがります。

この句の光景は、暗いトンネルを抜けて急に杏の咲き誇る山の晴れやかな場面がぱっとあらわれるという、仰視的な視点でも読めるし、また山のふところを見おろすような俯瞰的な視点からも読めます。むしろ、この句は積極的に視点の二重性を生かしていると考えたほうがいいでしょう。おそらく下五の「吐きにけり」という独特な動詞の使い方が、たんなる擬人化にならずに、このダイナミックな視点の落差を一語に圧縮させていると考えていいかもれません。まさしくあり得ない空間まで取り込むような、ひろがりを感じる一句です。

追記:
森澄雄に〈北国の雨に風添ふ花杏〉という句がありますが、杏は雪国に春の到来をつげる花なのだそうです。この森の句と比べれば、どれだけ飴山の句が季語の本意に頼らずに、なおかつ季語の本意を発展的に拡張しているかがわかると思います。

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