太陽はいつもまんまる秋暑し 三橋敏雄
月の変容ぶりとは対照的に、太陽は不変。ずっと変らず、「いつもまんまる」である。残暑はいつまでも続くように思えたとしても、いつかは終わる。太陽の変らなさと比べれば、一時である。下五で、「秋暑し」と暑いことを暑いと肯定的に言...
月の変容ぶりとは対照的に、太陽は不変。ずっと変らず、「いつもまんまる」である。残暑はいつまでも続くように思えたとしても、いつかは終わる。太陽の変らなさと比べれば、一時である。下五で、「秋暑し」と暑いことを暑いと肯定的に言...
照葉(てりは)とは、日の光に照り輝いている紅葉のこと。作務(さむ)とは、禅寺の掃除、薪割り、草刈りなど、僧侶の日々の雑務のこと。朝から晩まで戸外でする務めも、この照葉の下では苦でなくなり、むしろ喜びに感じられてくるようだ...
前書きに「美濃、関五句」とある句のうちの一つ。関市は刃物の産地で、毎年十月に「刃物まつり」が催されている。鎌倉時代、元重によって刀鍛冶の技術がこの地に伝えられたという。時代とともに、戦のための刀から柿を剥くためのキッチン...
看経(かんきん)とは経を黙読すること。蹲踞(つくばい)とは、俗世と切り離れた庵室へ入るために据えた手水鉢。客人はそこで身を低くして手を洗い清める。長旅を終えた小鳥が水鉢に頭を垂れて、水を呑んでいる。看経の静かさは、客人で...
斑猫(ハンミョウ)とは猫ではなく、光沢の斑紋のある色鮮やかな甲虫のこと。山道や川原で見られ、近づくと数メートル飛び逃げる。その行動からミチオシエやミチシルベとも呼ばれている。この句は、その斑猫が思わぬほうへ飛んだというの...
映像的な動きを感じる一句。遠くの河原へぐっと寄っていった視点が、一転して、目の前の紫式部の小さな実へ接近していく視点へ切り替わる。カメラで言うと、望遠レンズからマクロレンズへ切り替わったかのような感じだ。秋の澄んだ空気が...
屋外の能舞台に嵐が迫っているのだろう。初嵐は台風の前触れのような風のことで、秋を告げるもの。飯田蛇笏の〈なきがらや秋風かよふ鼻の穴〉という句は、もはやその鼻の穴には息がないということに気づかせる秋風だが、この句の初嵐は、...