夏の闇鶴を抱へてゆくごとく 長谷川櫂
作者の代表作のひとつに挙げられる句であるが、なぜか句集におさめられていない。さまざまな解釈がありそうな句であるが、私がこの句を読んだときに、とっさに思い当たったのが、「鶴の恩返し」という話である。もちろん、これは日本人な...
作者の代表作のひとつに挙げられる句であるが、なぜか句集におさめられていない。さまざまな解釈がありそうな句であるが、私がこの句を読んだときに、とっさに思い当たったのが、「鶴の恩返し」という話である。もちろん、これは日本人な...
昨夜、金子兜太の最新句集『日常』を読みなおしていて、ふと出くわした一句です。『日常』には、もっと圧倒的に心を打つ句がたくさん入っています。どちらかと言えば、この句は目立たないほうの句かもしれません。しかし、この句はなぜか...
すっかり古い葉も散りきって、さっぱりした姿の青々とした竹が空に向かってまっすぐ高くのびている。見上げるだけでも、くらっとしそうな高さなのでしょう。もちろん、高さだけでなく、そこには目の前がくらくらするような真夏の暑さがあ...
蝉花(せみはな)とは、この句を読んではじめて知った言葉です。同じ意味の季語に、「蝉茸」や「冠蝉」という言葉もあります。蝉の幼虫が土から這い出ても、蛻変(成虫になること)できぬまま、頭から橙黄色の棒状の茸が生えてくるのだそ...
季語は「蛍」で夏。この句に登場する女性は、かほそく小さな手の持ち主と見ました。その手から蛍をもらうときに伝わるものは、握りの「軽さ」です。握っている手指の「軽さ」が、蛍の命の「儚さ」を同時に伝えてくるのだと思うのです。女...
季語は「夏花」(げはな)。「夏花摘み」という季語もありますが、「安居」(あんご)の供花にするわけです。もちろん安居とは、仏教徒の修行のひとつで、僧が一箇所に集まってともに修行をすることです。雨期に行なうものが、「雨安居」...
昨日、この句を思わせる光景を目の当たりにしました。まだ梅雨明けには早いですが、朝からすでに夏の光を思わせるくらい日差しが強く、通勤バスを待つ人の列にも、気だるさただよっていました。私もそのバス停で最寄りの駅まで行くバスを...