うつくしき蛇が纏ひぬ合歓の花 松瀬青々

合歓(ねむ)の花は、夏の季語。蛇も夏の季語ですが、この句の主役は合歓でしょう。万葉集に紀女郎の〈昼は咲き夜は恋ひ寝る合歓の花〜〉という一首もあるように、合歓は夜になると葉を閉じる。それが眠っているようだから「ねむ」と呼ばれるとほとんどの辞書には書いてあります。本当かどうか知りません。ただ不思議なことに、漢方薬では不眠症の薬(鎮静剤?)になっているのだそうです。また、合歓は川縁など比較的水の多いところに咲くそうで、「水」のイメージと近しい言葉なのだと思います。さらに「合歓」という漢語は、男女が一夜を共寝するという意味ですから、艶っぽい言葉でもあるわけです。合歓の花は、絹糸を小さく束ねたような花ですから、雨や夜露に濡れたりするとまたしっとりと色っぽく見えるのでしょう。

この句の場合、そこに蛇登場です。しかも、「うつくしき蛇」とくるわけです。蛇の寓意は古今東西さまざまですが、ここでは「女」の寓意ではないかと思います。あるいは、女を人の心を惑わすものに変えるような何か、と言ったほうがいいでしょうか。誰もが秋成が「蛇性の婬」に書いたような世界を思い起こすでしょうが、おそらく青々は、この句で芭蕉の〈象潟や雨に西施が合歓の花〉という句をも一緒に呼び起こそうしているのではないでしょうか。西施(せいし)とは、春秋時代の末期、呉越戦争のさなか、呉王の心を虜にして、呉滅亡に導いた傾国の美女の名です。意識的に滅亡に導いたというのでなく、呉王が国のことなどどうでもよくなるほど魅惑的な美女だったということです。

この句の景ですが、蛇が合歓の花をまとっているということではありません。合歓の花に蛇がまとわりついているということです。ポイントは「纏ひぬ」です。これは、助動詞である「ぬ」と「つ」の違いがわかれば、これは読み間違えないと思います。両方とも強調や完了の助動詞ですが、「ぬ」は自然とそうなった、という主に自動詞につき、「つ」は人為的にそうしたという主に他動詞につきます。読み方としては、中七の「ぬ」は助動詞の終止形ですから、このあとに比較的大きな切れをおくといいと思います。ここに間があることで、下五の合歓の花の存在感がぐっと高まるのがわかります。蛇をきっかけに「物語」を呼び込みつつも、そこから切り離して合歓の花を置く。その瞬間、生々しい合歓の花が目の前にあらわれるといった感じです。

ところで、「顰(ひそみ)に倣う」という言葉がありますが、これは西施の故事から来ている言葉です。醜女が西施をまねて眉をひそめてみたら、誰もが興ざめして、気味悪がったという笑い話です。そこから、私なんかが、うわべだけ真似たって愚かな結果にしかなりませんから、というような謙遜を表わすときにも使われます。なんだか自分の俳句も人に「顰に倣うようなものだ」などと言われないように、うわべに終らないように精進していきたいものです。

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