いくたびも村流されて月見草 長谷川櫂

古来大氾濫を繰り返してきた川沿いの村。流されてもまた村を築き、築いてはまた流される。月もまた欠けては満ち、満ちては欠けてゆく。再生=よみがえりの象徴である。永遠は死と生の循環の中にある。

ある夜、月見草をみながら、そんな永遠の時間に思いをはせているのだろう。

この月見草は、いくたびも大洪水にみまわれながらも、その土地を、文化を、自然を守り、生きてきた人々の姿と重なる。

句集『果実』にあたると掲句の前に〈牛冷す阿武隈川に夕映えて〉という句があるから、阿武隈川沿いにある村であることがわかる。

阿武隈川は、阿武隈山地から発し、福島県の北東部を流れ、宮城県南部に入って太平洋に注ぎ込む長く大きな川である。古くは交通や輸送に利用されてきた。白河の関が奥州への入り口とされるのも、陸路と同時に、この阿武隈川につながる舟路へのアクセス拠点であったこともあるはずだ。

この月見草は、月を見ている芭蕉の姿にすら見えてくる。

出典:句集『果実』

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